小学校支援員ねずママ子ども成長応援日記♪

現役特別教育支援員の小学校通常級での支援記録です。

【令和2年保育士試験一発合格❗️】

とある小学校で発達凸凹専門支援員をやってます。

日々の支援の中で感じたこと、考えたこと、伝えたいことをつれづれに綴っています。

 

昨年の春、コロナ禍にふと思い立ち、保育士資格を目指しました。

 

何故50歳目前にして目指したのかというと、支援の仕事をする中で、

「この子は保育園や幼稚園でどう育てられていたのかな?」と感じたことがたびたびありました。

また、小学校でも役立ちそうな教育原理や保健、心理、児童福祉などが幅広く学べるので、実践に役立ちそうだなと思ったからです。

 

ただ、私は支援員の仕事の他にもう一つテレワークの仕事もしており、

正直ヘトヘトの毎日でした😭

 

だから、けっしてその仕事に支障が出るような無理はしないでおこう。

平日夜の9時から10時の1時間だけ、土日もやれる分だけ。

だけど、毎日続けようと決めました。

 

そうは言っても私は意志の強い人間ではないので😅

通信講座に助けてもらおうと探したところ良いものが‼️

 

四谷学院の講座は、少し受講料が高めではあるけど、パソコンで⭕️❌をつけていくクイズの様な感覚で問題を解くことができました。

 

最初はあまりに多い教科数にびっくりしましたが、先は考えずに目の前の問題だけをひたすら解くということを続けました。

 

この講座の良いところは、自分がどこまで進んだかが一目でわかりやすく、先の長さはあまり意識しないよう作られていたと思います。

まずは動画を見て、その部分のテキストを読んで、基礎問題を解く。

間違えたところやり直し、上級問題に進む、の繰り返し。

最後終わってみると、筆記に費やした時間は400時間切るくらいでした。

 

過去の受験生のブログとかツイートとかを見ると、社会福祉や食と栄養が難しいとか、出題範囲が広すぎとか書いてあったので、こりゃ2.3年かかるかなーと覚悟していました。

とにかく嫌になったり疲れたりした時は無理をしないよう、がむしゃらにならないように気をつけました。

 

そんなゆるい勉強の仕方だったので、筆記に合格しても、あまり実感が湧かないまま実技試験に突入しました。

 

実技はコロナ禍により音楽の試験が中止になったので、言語のみとなったことも幸いしました。

 

3分間の素話なのですが、支援員の仕事で先生たちが読み聞かせをするのを何度も見ているので、どんな話し方が子供達を惹き込めるのかが何となく体でわかっていたからかもしれません。

なんと結果は50点満点💮

やればできるじゃん、私🤗

 

ここのところ合格というものにとんと見放されていた私にとっては、とても自信回復につながりました。

 

今回保育士の勉強をして分かったことは、少なくとも保育士さんは発達凸凹の子達を充分に理解し、支援の方法を勉強して身につけているということ。

 

ただ小学校になった時、その環境が一変し、一気に学習カリキュラム習得中心の生活に変わってしまいます。

発達凸凹の子達はそのギャップや速さに

馴染めず、先生や周りの子から叱られ続けることで自信を無くしてしまうのではないかと思いました。

いわゆる小1プロブレムというやつですね。

 

彼らは個性や特徴が理解されず、それはそれは苦しい環境に身を置くことになります。

 

初めて入学させる親御さんはそんなことになるとは思いもよらない中で、家庭でも先生に言われるがまま、子供を追い詰める場合が少なくありません。

 

「なぜみんなと同じように宿題ができないの!」

「どうして先生のお話が聞けないの!」と。

何を隠そうまさに私がそれ😅

 

本来発達凸凹はちょっと種類の違う少数派の特徴なんです。

ある種、左利きの人みたいな。

良いところもたくさんあるのに、学校という一律のシステムに馴染まない。

それを認められず、いいから多数派に合わせろと言い続けられ、虐げられる。

自分に合った活動がないし、周りは厳しいから、学校嫌いになっても当然ですよな。

 

私は、発達「障害」とは個性や違いを認めない周りとの人間関係が作り出してしまうものなんだ、とだんだんわかってきました。

 

だから支援員として、その子達を理解し、君はダメじゃないんだと言い聞かせ、常に温かく、楽しく接すること。

側から見ると甘やかしてる、と勘違いされることもあるでしょうが、困っている子供たちを救うとても意義のあることだと思っています。

 

これからは保育士の勉強でしっかり叩き込まれた、「養護と教育を一体的に」を小学校でも行えるように、経験をたくさん積んで精進したいと思います。

 

今日も支援は続く…