素晴らしい本との出逢い。
とある小学校の通常級で発達凸凹支援員をやってます。
日々の支援の中で感じたこと、考えたことや伝えたいことをつれづれに綴っています。
先日テレビで見かけて、早速図書館で借りた本。
「マイノリティデザイン」澤田智洋
この本には、今まで言い表せなかった自分の気持ちが、的確かつ洗練された言葉で綴られていて本当に感動しました🥺
この本を読んで私が思ったこと。
「障害」を名付けて、重く、暗く、固く捉えるのではなく、「弱さ、苦手」とゆるく軽やかに捉えることが、社会の段差や軋轢を消すことに繋がること。
澤田さんの「ユーモラス✖️チャーミング」という"トンマナ"に激しく共感。
ついつい真面目さが際立ってしまう(自分で言うな)私にとっては、永遠の目標です。
そしてゆるスポーツは、小学校でもぜひ体育に取り入れてほしい!!
スポーツ嫌いになるのは、おそらく9割がた体育なんです。澤田さんがそうだったように。
もちろん勉強が苦手な子で、体育で活躍できる子がいるのも事実です。
でも、勉強も特別できず、体育でも活躍できない子ほど、いじめやからかいの対象になりがち。
スクールカーストである少数派メンバーの固定化を打破するために、このゆるスポーツがぜひ教育現場の救世主になることを望みます。
私は、人間には凸凹があるから、補い合って生きて来たから、ここまで進化できたんだと思っています。
凹の部分を殊更に責め立てて、差別して卑下して迫害することに何の意味があるのか、これが私の怒りの核心だと知りました。
それは、私にも発達障害の診断を受けた息子たちがいるから。
振り返れば、これまで私も自分の弱さを必死に隠して目立たないように生きて来ました。
たとえ得意なことがあっても、注目されると凹な部分が目立つから、長所を伸ばすこともなく、無難にひっそり過ごして来たように思います。
知らず知らずのうちに平均を求める私のような人間こそが、差別やいじめを生み、たくさん人を傷つけて来たのかもしれません。
澤田さんのように、みんなが自分の弱さを軽やかに曝け出せて、それを応援できる人が自然と集まってくる世の中になったら、きっと「障害」なんて言葉も、パラリンピックの概念も無くなるんじゃないかと思いました。
ここからの人生は、困っている人に手を貸すことよりも、困ってしまう状況をなくしたい、困らせる社会を何とか変えたいということに気付きました。
今は、困っている人のいる状況の現場視察をしている段階なので、この身をもって体験したことから、いつか障害という言葉をなくすコトをクリエイトしたいと願っています。
この本を書いて下さった澤田さんに感謝とリスペクトを捧げます。
そして、この本をちゃんと買います。笑。
明日からも支援は続く…