【やるせない出来事】
とある小学校で発達凸凹専門支援員をやってます。
日々の支援の中で感じたこと、考えたこと、伝えたいことをつれづれに綴っています。
今日はとてもやるせないことがありました。
クラスの中である物がなくなってしまいました。
それは、マグネットで壁に貼られているとても小さなネームプレートです。
しかも以前も同じ子のプレートがなくなっていました。
先生は恐らく「イジメではないか」と危惧されたのでしょう。
子供たち全員を前に激しく怒鳴りました。
「誰が隠したんだと」
私は普段彼らを見ていて、そんな陰湿なイジメをする子がいるようには到底思えませんでした。
みんなで探すように指示を出され、
まもなくある子が落ちているプレートを見つけました。
正直私は、落ちているか下の袋に間違って入ってしまったか、掃除で気づかれず捨てられたかだろうなと思いました。
マグネットなので、横を通った時に服がぶつかって簡単に落ちることもあったからです。
だから見つかって本当に良かった。
みんなが疑われたままにならなくて良かった。
先生は「誰かの名前がなくなっていたら当然分かるだろ、落ちてたら拾うだろ」
とおっしゃっていましたが、普段常に見るわけでもない小さなプレートが果たして大人の私でも気づけたかどうか…
イジメに敏感になることはとても大切です。
僅かな芽を摘むためだったかもしれません。
しかし、微かな可能性なのに、子供たちを初めから疑ってかかるというのは、
言い訳も許されない子供たちはさぞや悲しい気持ちだったろうと思いました。
昔、うちの次男が6歳くらいのとき本屋で商品を勝手に持ってきてしまったことがありました。
私と主人は教育のためと激しく叱り、反省文をかかせ、お店に謝りに行きました。
その時私たちは先生と同じように、「今後お前を信用できないから、お店に連れて行かない」と叱りました。
今になって思えば、次男が悪いことと知りながら盗んだと決めつけ、大人と同様に罰してしまいました。
しかし、本来子供がきちんと買い物できるようにあらかじめ教えなかった親の責任なのです。
買い方を知らなかった次男は犯罪者として扱われ、一番信頼している親から「信じられない」と言われたことは、大変ショックだったろうと後になって激しく後悔と反省をしました。
今回のケースにおいても、やはり先生には怒鳴るより前に、子供達を信じて探させて欲しかったなと思いました。
だって簡単に見つかったんですから…。
そして触って落ちる様な場所に置かない、簡単に取れないようにするなど
いくらでも工夫はあるように思います。
ただ、先生を責めるつもりはありません。
ここまで子供たちに厳しく接する先生ですが、本当に生真面目で、一生懸命な先生であることは間違いないからです。
先生の本分は学習指導。
クラスの大半が学習を習得するには、
授業が静かであり、ある程度の緊張感も必要なのかもしれません。
いったん緩んでしまったらあっという間に学級崩壊を起こすことも少なくないからです。
だから先生たちはあえて嫌われ役を買ってでも、みんなのために厳しくしているのかも…と最近ようやく感じる様になりました。
とはいえ、子供達にとって学校が怖くて行きたくない場所になってしまっては元も子もありません。
社会環境が大きく変わり、大人たちは他人の子供を育てなくなりました。
地域のコミュニティは希薄になり、家庭だけに閉じこもれる社会。
物心ついたころからいろんな大人や子供の中で、少しずつ学ぶはずのコミュニケーションや社会のことをほとんど身につけないまま学校に入ってくる子供たちは、かつてよりレジリエンス力(挫けない力)がないように感じます。
先生たちには、少なくとも低学年の間は、いっぱい良いところを見つけてあげて、褒めて、褒めて、たっぷり自信をつけさせてあげてほしい。
自信を持てた子は叱られてもちゃんと受け止められると思うから。
こういう話、本当は先生と腹割って話せたらなぁ…。
とにもかくにも、子供たちが学校嫌いにならないことを祈るばかりです。
そして今日も支援は続く…