小学校支援員ねずママ子ども成長応援日記♪

現役特別教育支援員の小学校通常級での支援記録です。

今年の抱富。

とある小学校の通常級で発達凸凹支援員をやってます。

日々の支援の中で感じたこと、考えたことをつれづれに綴っています。

 

新年が明けました。

若い頃は、まるで禊をするかのように綺麗に体を洗い、身の周りを整えて、指折り数えながら年越ししたものですが、ここ数年、時の速さにうっかり除夜の鐘も聴きそびれています🥴

 

でもそれだけ普段が平穏で、年が変わろうが私は変わらないという安心感という肝が鎮座しているのだなぁと思います😊

 

特に昨年末、長年勤めていた会社を卒業し、新しい職場が決まったこともあって余計に気持ちが穏やかだったのかもしれません。

 

さて、今年は息子2人も私も、春から新しい環境に身を置くことになるので、心に留めておきたいことを書き記しておこうと思います。

 

まず、「頑張りはほどほどに」。

私は元来、夢中になると頑張りすぎて相手本位になったり、我慢してしまったりして、辛くなってしまうことがあります。

だから、頑張るけど頑張り過ぎないこと。

ちょっと無理だと思ったら、キリをつけるか誰かに頼ること。

それは息子たちも同じです。

真面目だからこそ一所懸命になりがち。好きなことには夢中になっていいけれど、辛い気持ちが50%を超えたらブレーキかけてギアチェンジ!

 

次に、「起きていない未来を心配しない」。

ついつい、ああなったらどうしようとか悪い予測を立てて不安になってしまうけど、それは起きていないことだし、私の脳が足を引っ張ってるだけ。

それは現実に起きたこと?今どうなってる?といつも自分に問いながら、確認しながら生きていく。

 

最後に、今自分の好きで大切な人、コト、モノのために動くこと。

もちろんその筆頭には自分自身がいます。

嫌な人、コト、モノからは全力で離れること。

それは悪いことじゃないってようやく判りました。

嫌いは普通にはなるけど、大好きにはならない。

だから嫌いを好きにしようと努力するんじゃなく、距離を置く。

人の好き嫌いには合わせるのではなく、その人の感じたことなんだと、ただ認めるだけにすること。

モットーは「イイ人、イイ親、イイ女」を目指さないこと。

 

本能のまま、あるがままに❗️

イジメのいろいろ。

とある小学校の通常級で発達凸凹支援員をやってます。

日々の支援の中で感じたこと、考えたことをつれづれに綴っています。

 

いよいよ今年も暮れようとしています。

今年も色んなことがありました。

長男が受験だったり、次男が不登校になりかけたり、親が倒れたり。

なかなかパワフルな1年でした。

そんな年の最後に、あらためて誓うことがありました。

 

先日、家族で公園に犬の散歩をしに行った時のことです。

夕暮れで、公園では少年野球チームの練習が終わったところだったようで、数人の子たちが遊具に登って遊んでいました。

すると、中の子供の1人が次男に気づいて「あ、〇〇(次男)じゃん!」と言うと次々と他の子もホントだホントだと、次男の名前を呼び出しました。

すぐに同級生がいるんだと気付きました。

するとすぐに誰かが笑いながら「イケメーン!」と言いました。すると次々にみんなが「イケメン」と囃し立て始めたのです。

次男見ると、黙って下を向いていました。ぐっとこらえている様子でした。

 

たまらず次男を呼ぶと、さっとその場から離れ、私の元に駆け寄りました。

 

次男のなんとも言えない硬い表情を見た時、これが彼の学校を嫌がる原因かとやっと解った気がしました。

 

彼が学校に行きたくないと言い出した時、一体どんなひどい言葉や態度で傷つけられているのだろうと思っていました。

しかし、ポジティブな褒め言葉の裏に綺麗に隠された、からかいや蔑みもあるのだと言うことをこの時目の当たりにしました。

 

後で彼に聞くと、「よくあるからそういう時は黙ることにしてる」と言いました。

無性に腹立たしくて哀しい気持ちになりました。

 

たとえその同級生を責めたとしても「褒めて何が悪いの?受け取る方が捻くれているんだ」とでも言うのでしょうか。

なぜ次男が嫌な思いをするのか分かりもしないのでしょう。

想像力の欠如というやつです。

 

なるほど、これでは親にも先生にもいじめられたことを説明できないわけです。

だって言葉としては褒めているんですから。

それを大人に言っても、なぜ嫌なのか解ってもらえないと思ったのかもしれません。

 

いじめも高学年ともなると高度な技術を使うなと思わず感心してしまいました。

いじめる側の子も、いかに自分が犯人にされないか言い訳を用意しながらやるのだとしたら、なんと悪質。

 

そしてさらに腹立たしいのは、その場にその子たちの親もいたのです。

 

大人ならあれを見て変だと思わなかったのでしょうか。

 

しかし私がその親を責めたとしても、きっと何が悪いか分からないか、悪く受けとるのがおかしいと多数で反撃してくるのでしょう。

子供を観察していないから分かるはずもありません。

 

子供社会も大人社会も同じことが起きているだけなのです。

 

次男には、「お母さんは、あれをいい気持ちはしなかった。明らかにバカにしてるように聞こえたよ。しかも集団で卑怯だ。」と怒って伝えました。

こんなこと我慢することじゃなくて、怒るところだよね。

でも怒ったところでさらに面白がられるだけ、と次男は分かっているのでしょう。

だとしたら、まずはとにかくその場を離れること。

自分でどうにも出来ない時は大人の力を借りること。

けっして我慢して溜め込まないこと。

などを次男に伝えました。

 

私の子供たちは、心から相手の良いところを素直に褒めたり、称えたり、感謝したり、ストレートなコミュニケーションができる子に育って良かった。

 

彼らが裏切られることない社会に、私たち大人がしていかなきゃ。

そう誓った年の瀬でした。

 

来年も支援は続く…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

支援員という仕事。

とある小学校の通常級で発達凸凹支援員をやってます。

日々の支援の中で感じたこと、考えたことをつれづれに綴っています。

 

2学期の勤務が終わりました。

何より支援に入っているクラス、学校で大きな事故や事件がなく、無事冬休みを迎えられることにホッとしています。

 

私もようやくこの学校に来て3年目。

来年の3月には契約が終了となります。

2学期最後の勤務日には、担任の先生が私の勤務が今日までだということを子供たちに伝えてくださいました。

「今日までなの?」と悲しそうにしてくれる子、「3学期も来てくれるんだよね」と腕を掴んでくれる子、皆本当にかわいくて仕方ありません😊

 

支援員という仕事は、経験積めば積むほど難しい仕事だなぁと感じるようになりました。

私の場合、ついつい、先生と同じ目線で言葉を発してしまいがちになったからです。

先生の味方になりたい、力になりたいという気持ちが強くなればなるほど、先生のように集団を見て先生の代弁をしてしまいがちになります。

 

しかし、私たち支援員は、先生のように子どもたちを真正面から見るのではなく、横や後ろから子供たちを見ています。

先生の方を向いている子供たちが垣間見せる表情や本音をいかに拾えるかが勝負。

 

いつも、一人一人の子供たちが何を言いたいのか、何をしたいのかを聞き出したり、読み取ったりして、先生や周りの子に通訳すること、そして子供たちにも先生が本当はこの子に何が言いたいのかを汲み取って通訳するのが支援員の仕事だなぁと思うようになりました。

 

時には読みが違ってしまったり、通訳を間違ってしまって大いに反省することもありました。

その都度、当たり前ですが自分は先生とは担務が違うのだと戒め、クラスの中でも黒子に徹するように努めていました。

 

兎にも角にも、やりがいのある素晴らしい仕事です。

チャレンジして本当に良かったと思っています。

 

年明けからまた悔いのないよう3学期をやり遂げるぞ‼️

 

来年も支援は続く…

 

 

 

 

 

 

 

通常級と支援級、どちらを選ぶか。

とある小学校の通常級で発達凸凹支援員をやってます。

日々の支援の中で感じたこと、考えたことをつれづれに綴っています。

 

先日、初めて支援級のヘルプに入りました。

その時のクラスの人数は、1年生1名、4年生4名、5年生2名でした。

 

1年生はまだオムツを履いていましたし、ダウン症で他の子の製作物を唐突に壊してしまう子、かと言えば一見通常級の子と全く変わらないコミニュケーションを取れる子が同席していました。

おとなしい高学年の子はずっとタブレットで個別学習しているのですが、先生一人でこれだけ幅広い支援をするのは大変だなぁと思いました。

 

ただ一日通して見ると、みんな割と先生の指示を座って聞いているのです。

そして聞いたことに対して意見を言ったり、しっかりと反応していました。

もちろん、たまたまこのクラスのケースということではありますが。

 

普段通常級で、先生の指示を全く聞いていない子や、学習に全くついていけていない子たちをたくさん見ていて、通常級と支援級の一体何が違うのか、と思ったほどです。

 

たしかに支援級に入れば、人数的にはより手厚い加配を受けられると期待します。

しかし、その時に同じクラスに同席する子の支援の必要度合いによっては、先生の手が回らず、思っていたほど支援は受けられず、学習も学年ごとのカリキュラムが受けられなくて放置の状況にもなる可能性があるなと感じました。

 

支援級と通常級を選ぶ際には、そのクラスに入った場合、どんな支援が受けられて、どんな学習がしづらくなるのか、メリットとデメリットをきちんと見極めることが大切なんだと思いました。

そして最も大切なことは、子供は刻々と成長するわけですから、大人側、学校側が柔軟に環境を整えてあげられたらベストだと思います。

 

私の勤務する自治体には通級指導がありません。

息子は通級指導教室を利用して、通常級でのストレスのガス抜きが出来ていますので、クラスを行き来できるのは良いシステムだなぁと思います。

大きな自治体でも、早く柔軟な考え方が浸透したらいいなと思いました。

 

明日も支援は続く…

 

 

子供が命を失うニュースで思うこと。

とある小学校の通常級で発達凸凹支援員をやってます。

日々の支援の中で感じたこと、考えたことをつれづれに綴っています。

 

先日愛知県の中学校で悲しい事件が起きました。

私も仕事柄、更に同い年の息子がいることもあり、とても人ごととは思えませんでした。

被害者や加害者のご家族、先生方など関わっていた方々の衝撃は計り知れないものだったことと思います。

 

まずは被害者となった方には心よりお悔やみを申し上げます。

まだ中3、夢や希望が溢れて、輝く未来の自分に日々思いを馳せていたことでしょう。

どうか安らかに、と願うばかりです。

 

今回のことは、思春期の感情の爆発が引き起こした衝動的で突発的な事件としてセンセーショナルに取り沙汰されていますが、やはり支援員の立場としては、当事者のパーソナリティや彼らを取り巻く環境、2人の関係性の中に兆候があったのかなかったのかが気になるところです。

もちろん、兆候があっても防げるかどうかは別問題かもしれません。

 

報道では「選挙の応援演説を頼まれて嫌だった」など断片的な情報が出ており、長期に渡って抑圧的な状況に追い込まれていたのではないか、と考えてしまいがちになります。

きっと当事者にしか分からない複雑に絡み合った感情や人間関係があったのでしょうから、未成年同士のことでもあるので、ニュース報道は憶測が広がらないよう言葉選びにより慎重になってほしいと思います。

 

小学生の低学年でも、怒ってハサミや武器となるものを手に取ってしまう子もいます。

椅子を振り上げてしまう子もいます。

その子たちはいずれも自分を必死に守るために攻撃しているのではと思うケースが多いです。

それだけ相手や周りが怖くて仕方ない、何をされるか不安だから過剰防衛としての先制攻撃に走ってしまうのです。

 

もちろん加害者の起こしたこととは違うかもしれませんし、いくら抑圧されていても善悪の判断、遵法の知識は年齢相当にあるべきだし、正当化するつもりも毛頭ありません。

 

しかし今回の事件では、朝凶器を準備して学校まで行って相手を呼び出した経緯から見ると、思い留まるタイミングが幾つもあったはずなのに、それを超えて余りある爆発的な強い憤りや苦しみが、人として制御できなかったということです。

 

極限を1歩乗り越えてしまった原因がどこかにあるのではないかと思います。

 

コロナ禍で子供の自殺も急増していると聞きます。

感情の爆発の刃が他人に向くか自分に向くかは、ベクトルが変わるだけでどちらもあってはならないこと。

 

子供が命を落とす選択をせざるを得ないのは、親の、大人の、社会の責任だと私は考えます。

 

今回の事件が、関係者によって深く紐解かれ、今後加害者や双方の関係者のケアやサポートがより良いものになることを切に願っています。

 

今日も支援はつづく…

 

自分を認めてほしいと命懸けで訴える子供。

とある小学校の通常級で発達凸凹支援員をやってます。

日々の支援の中で感じたこと、考えたことをつれづれに綴っています。

 

昨日衝撃的な体験をしました。

I君という2年生の男の子のことです。

彼は、活発でよくおしゃべりする男の子です。

誰かに何かされたり、誰かがいけないことしてることなど、1日に何度となく先生に訴えかけに行きます。

彼の訴えはつまり、「僕はいい子でしょ?悪くないでしょ?」という趣旨のものや体調不良がほとんどです。

まぁ、困ったことを相談できるのはいいとして、それにしても頻繁にヘルプを出し続けるので、先生はたまったものではありません。

そのうち私にもその訴えをしてくるようになりました。

気になる行動だったので、彼を注意深く観察することにしました。

 

すると、どうやら彼は自作自演をしてまで、先生に訴えに行っていることがわかって来たのです。

 

自分の靴をゴミ箱に入れて、「誰かが靴をゴミ箱に入れた!」と先生に訴えに行くわけです。

 

また、放課は元気に走り回って遊んでいたのに、嫌いな授業になると途端に「気持ちが悪い」と言って保健室に行ったりしていました。仮病あることは明らかでした。

 

要するに注意を惹きたい、構ってほしい、心配してほしい気持ちの表れなんだなと思い、私は彼にはなるべく話しかけて、良いところを褒めたり、認めたりする言動を、繰り返しました。

 

しかし、担任の先生は当然それに付き合えるわけもなく、繰り返し出される訴えに辟易されていましたので、今では彼の訴えをスルーしたり、「自分には悪いところがないのか考えてみなさい」と諭すようになりました。

 

そして昨日、例によって私に「気持ち悪い」と言い、えづき出したのです。

 

さっきまで外で元気に走り回っていたのに…と思いながらバケツを手渡しました。

 

すると、少しだけ唾液を出した後にお茶を口に含みました。

「気持ち悪いのにお茶が飲めるのかな?」と少し離れたところで見ていると、口に含んだお茶をバケツに吐いたのです。何度かお茶を口に含んでは吐き出していました。

 

そしてその直後、自分の人差し指を喉の奥に突っ込むと、今度は本当に吐きました。

そして、彼は私に担任の先生を呼んでほしいと訴えたのです。

彼を保健室に連れて行き、ひとまず休ませました。

その後給食に戻ってきた彼は、元気に完食していました。

 

私はとてもショックでした。

正直これはまずいと思いました。

すぐに担任の先生にも報告すると、以前からよく吐いていたので、そういう体質なのかと思っていたとのことでした。

 

彼は自分を傷つけてまで自分を見て欲しい、関わって欲しいと訴え続けているのかと、衝撃を受けました。

これは彼がこれまで8年間に積もり積もった適切な関わり不足の現れなのではないかと思いました。

 

今はまだ2年生なので、親御さんが学校にも無理矢理送り出すことができたとしても、そのうち自我がしっかりしてこれば、学校にも来なくなってしまうのではないか、もっと酷い行動が出てしまうのではないかと、心配でなりません。

 

これまで私はなかなかヘルプが出せない自閉タイプの子たちに注目しがちでしたが、ヘルプも出せるし、友達とも楽しく遊べてコミュニケーション能力も高い子の深刻な心の闇を目の当たりにしました。

 

私は家庭事情が分かりませんが、これは学校だけでも、家庭だけでも解決できる問題ではなく、彼を取り囲む環境全てで知恵を出し合って適切な対応をし、彼の心の傷を癒し、問題行動を減らさなければいけないと思いました。

 

私は微力ながら、彼にできる限り寄り添い、彼の言いたいことを先生方に通訳し、良い言動をひたすら認めていくことに尽きます。

 

これはあくまで個人的な判断であり、専門家の方に聞けばもっと違う解決法があるのかもしれません。

ともかくこのような問題があることが、多くの人共有されればと思い、記録しました。

 

今日も支援はつづく…

こだわりはワガママか。

とある小学校の通常級で発達凸凹支援員をやってます。

日々の支援の中で感じたこと、考えたことをつれづれに綴っています。

 

先日からクラスのAちゃんという女の子が気になっています。

 

彼女は一人でいることが多く、独り言を呟きながらウロウロしたり、唐突に話しかけてびっくりさせたり、勝負で負けると怒り出したりと、私から見れば典型的な特徴を持つとっても真面目な女の子です。

1年生の頃から友達から注意を受けたり、テストの点が悪いなどのたびに泣き出していました。

 

2年生になっても気になる行動はあったのですが、割と落ち着いて過ごしているように見えました。

 

ところがある日、何人かの友達がAちゃんを含めた何人かの子達に、先生の指示と違うことしていると指摘しました。

 

するとAちゃんは、突然すごい剣幕で怒鳴り出したのです。

「なんで何度も何度もみんなで責めるの‼️」

 

これまでは泣き出して教室を飛び出すことはありましたが、ここまで怒りが前面に出たのは初めてのことだったのでびっくりしました。

周りもあまりの勢いに圧倒されていました。

私は大声で泣き出した彼女をすぐに廊下に連れ出し、泣き止むまで背中をさすりました。

すると彼女は「やっぱり学校嫌い…」と小さな声で言ったのです。

 

 

たしかにキツい物言いの子もいましたが、Aちゃんだけをみんなが責めた訳ではありませんでした。

 

ただ実はこの日、少し前の体育の時間にも、彼女はクラスの男の子から「下手くそと言われた」と泣いていました。

 

要するに彼女の中では、傷つけられる発言が毎日毎日降り積もって、満タンになってしまっていたのです。

一見落ち着いて見えていたのは必死に我慢をしていたのかもしれません。

だから少しのことで、感情が溢れ出てしまい、周りから見れば大袈裟にキレているように見えてしまうのです。

 

このことを担任の先生に伝えたのですが、彼女のそれまでのこともあり「あんなことでキレていたら孤立しますよね、ちょっとワガママじゃないかと思います」との見解でした。

確かにAちゃんもキツい言葉で友達に注意したりすることもある訳です。

それで傷ついている子もいるので、先生としては、Aちゃんだけを被害者にする気にはなれなかったのでしょう。

 

ただ、私的には「学校嫌い」発言は最終段階だと捉えています。

彼女にとっては、もうコップが満タンで1滴でも溢れ出してしまうくらいの限界なのでしょう。

 

彼女にとっては、学校が居心地良い場所になるには大変な時間とサポートを必要となるでしょう。

まずは彼女にいつでもガス抜きできる場を与えること、彼女が「いつもみんなが彼女を責めている」という誤解や感覚をなくすように少しずつサポートできたらと思います。

 

明日も支援はつづく…