とある小学校の通常級で発達凸凹支援員をやってます。
日々の支援の中で感じたこと、考えたことや伝えたいことをつれづれに綴っています。
今支援に入っている2年生の子供たちは、
1日何十回も先生に何かを言いに行きます。
「これってどうすればいいの?」
「〇〇ちゃんが、△△してきたー」
「先生、トイレー」
まるでシャワーのように先生は子供たちの声を浴びています。
忙しい先生たちは「それくらい自分で考えたり、友達に聞いたりして解決してほしい」と言いながらも、その対応に時間が埋め尽くされているようです。
でもよーく見ていると、言いに行っている子は割と一部。
分からないと反射的に先生のところに走っていける子は、恐らく育った環境で抑圧が少なく、大人に助けてもらう経験をたくさん学んで来たのだと思います。
そういう子に埋もれて、聞きに行けない(行かない)子達も一定数います。
「先生に聞いてみてごらん」と伝えても、躊躇して行けない。
我慢する。
なかったことにする。
私もかつては息子たちに、自分の頭で考えなさいと言い続けていました。
子育ての後悔の一つです。
しかし、分からないことや自分に無理そうなことは気兼ねしないで人に頼る、聞くということは大人になっても大事なスキルです。
少なくとも中学年くらいまでは、
大人がちゃんと話を聞いてあげる心と時間の余裕を持ちたいものです。
そうしないと、大事な時に何もしゃべってくれなくなるのです。
ようやく一クラス35人学級になりましたが、正直20人でも1人の先生が子供たちの話を全部聞くには難しいように思います。
昔のように兄弟も多く、近所のおじさんやおばさんが話しかけてくれるような社会ではなくなった今、親まで共働きで忙しくなって、一体誰が子供たちの「ねえねえ」を聞いてくれるのでしょう。
それを一手に引き受けているのが学校だとすれば、もっともっと大人が介入する学校になっていいのではないかと思います。
今日も支援は続く…