小学校支援員ねずママ子ども成長応援日記♪

現役特別教育支援員の小学校通常級での支援記録です。

学習指導要領について素人の私が考えたこと。

とある小学校の通常級で発達凸凹支援員をやってます。

日々の支援の中で感じたこと、考えたことをつれづれに綴っています。

 

支援員になって3年、この頃強く思うことがあります。

2年生でひらがなを書いたり読んだりすることがおぼつかない、計算も2桁の足し算で止まってしまい、九九も習得できていない男の子がいます。

しかし彼はとてもコミュニケーション能力が高く、兄弟がいじめられたことに腹を立てたり、私に「いつもべんきょうをおしえてくれてありがとう」と拙い字で手紙をこっそりくれたりします。

人のことをよく見ているし、先生の指示もちゃんと聞けます。

勉強への意欲もあります。

 

なのにカリキュラムはつまづいた彼を待ってはくれず、どんどん進みます。

分からなくても置いてきぼり、テストが出来なくてもそのまま終わっていきます。

その中で彼が学んでしまったのは「自分は勉強ができない」という劣等感と挫折でした。

 

先生に話すと「家庭でも遅れを補う気がないんですよ」と言われ、愕然としました。

 

もちろん学校に家庭教師的なことはできないにしろ、遅れは家庭で取り戻すのが本当の公教育なのだろうか、と正直思いました。

 

彼は2桁の足し算の筆算を楽しそうに解いているのです。

ならば、3桁4桁とやらせて自信をつけさせてもいいのではないか。

教科書に載っていないからですか?

 

色々と意見はあるでしょうが、計算や文字を書くのが苦手な子には、パソコンや電卓にさっさと任せればいい。

もっと興味のあることを楽しく学んでいけたら、彼が自信をなくすこともないんじゃないかと思えてなりません。

 

彼だけでなく、授業中につまづいている子は案外たくさんいます。

つまづいても、別の教え方や方法を教えずに、何度も練習させてやり直させていれば、嫌いになるのは明らかです。

しかも、先生ができるクラスメートに教えさせることもあり、余計に劣等感を植え付けるように思えてなりません。

 

私は教員免許を持っていないし、あくまで一般社会人としての目線なので、素人考えだと言われるかもしれません。

 

でも、例えば学年やクラスを跨いで希望するカリキュラムごとにグループで学ぶ時間割があったらどうでしょう。

算数の基礎を勉強するグループ、体育で跳び箱や縄跳びを練習するグループ、小学校の漢字を楽しく覚えるグループなど。

自分のやりたいこと、学びたいことをやれる時間を保証する。

なぜ、1年生にはこれ、2年生にはこれ、と覚えることが分かれるのでしょう。

難しいことが覚えられる子はどんどん進み、そうじゃない子はそこで止まったり戻ったりして理解できるまで色んなやり方を試す。

1年生でも6年生の漢字を覚えられたっていいじゃないですか。

6年生でも分数を納得行くまでやったっていいと思います。

不平等だからいけないのですか?

 

計算や書き取りが苦手な、いわゆる学習障害と言われるケースの子達は、眼鏡をかけるようにパソコンや電卓を自分で持ってこればいいんです。

大人の社会ではそれが当たり前なのですから。

 

正直言って、学活という授業で、多数決で鬼ごっこをするくらいなら、そういう時間を作ることは可能だと思います。

 

それともう一つ大事なこと。

先生たちも自分が得意で教えたい教科を教えられたら、きっと熱のこもる授業ができるのではと思います。

先生たちの疲弊を解消することこそ、子どもたちの教育の質を上げるための1番の近道なのではないかなぁと思います。

 

教育現場は、そこにいる大人も子供も楽しくて情熱的で居たくなる場所であってほしい、心からそう思います。

しがない支援員のつぶやきでした。

 

本能のままに、あるがままに。